【共産車探訪 vol.32】SMZ S-3D


Здравствуйте,Товарищ!


こんにちは、ちゅうさまです。


さて、前々回からSMZのバブルカーを見てきましたが、今回の ”S-3D” はその最終進化系となります。ちょうどピカチュウ(S-3A)がライチュウ(S-3D)に進化する感じですかね。といっても強くなるわけではないですが…。


改めまして、今回ご紹介するクルマはこちら、”SMZ S-3D”。前回ご紹介したS-3Aの後継として、1970年から生産が開始されました。


あらまあ、あんなに可愛かったS-3Aがこんなに醜く……。


丸みを帯びた愛くるしいボディは平面の多いデザインに代わり、そのスタイルはまるで出来損ないのトラバント。なんというかこう…小学生が夏休みの工作で作った段ボールカーみたいです。


デザインがこんなになってしまった要因は、大きく2つあります。


①全地形対応車にするため

ロシアの路面整備状況は(はっきり申し上げて)最悪です。共産主義圏では珍しいことではありませんが、都市部の表通りでも平気で大穴が空いていたりします。また、豪雪地帯では最早道路があるかすら分かったものではないですし、春には大量の雪解け水で道路はグチャグチャになります。

そういうわけで、車体が小さくても多少の悪路なら走破できるバギータイプのデザインが採用されたのです。だったら大人しくバギーにしておけばいいものを、下手にクーペスタイルにするからこうなるんだよなあ…。


②生産コストを下げるため

S-1LやS-3Aと同様、S-3Dは「自動車椅子 (инвалидка)」として、身体障害者向けに政府から無償支給されていました。そうなると、いかにコストをかけずに多数の人民にクルマを供給するかということが問題となってきます。

そこで、SMZでは部品の点数を減らし、さらにその部品を簡素な形状にする手法がとられました。その結果として平面の多いデザインとなったのです。まあデザインより実用重視の車なので、納得と言えば納得。


そんなわけで外見は大きな変化を遂げたS-3Dですが、中身は?


実は、1950年代の単気筒エンジンをいまだに使い続けていました。

1956年のS-3Lで初めて搭載されたイージェー製の346ccの単気筒エンジンは、1970年代になってもなお現役で使われていたのです。ただし、そっくりそのまま使っていたわけではなく、過負荷をかけることで出力は増強されています。1962年のS-3AMで10hpだったのが、S-3Dではなんと18hp


ただ重量もS-3AMの50kg増しの500kgとなっているので、果たしてその効果は…。

一応カタログ値では70km/hを出せることになっていますが、実際にそんなスピード出したら空中分解しそう。


ちなみに50年代の2ストエンジンを無理やり高出力にして使用していることもあり、給油に際しては航空機用の高品質オイルを添加するよう指示されていたんだとか。しかし、ソ連の年金生活者にそんなものを買う余裕などあるはずもなく、たいていは工業用の低品質オイルが使われていたんだとか。


コクピットはこんな感じ。

ハンドルの後ろについている金属の棒はパドルシフトではなく、ハンドルの中央付近の2つがアクセル、外側の2つはクラッチとなっています。で、ハンドルの右手に生えている棒がブレーキ、その後ろがシフトノブとなります。


非力で騒音のうるさいS-3Dはそれほど評価の高いクルマではありませんでしたが、福祉車両という性格からソ連崩壊後も生産は続けられ、1997年までに22万台以上が世に送り出されたのでした。



これで3世代に渡ったSMZのサイクルカーの話はおしまい。次回は……たまにはラーダでもやりますかね。


2018/03/26 ちゅうさま

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