【共産車探訪 vol.22】ZiL 114①

Здравствуйте,Товарищ!


こんにちは、ちゅうさまです。


最近カメラが壊れかけていて困っています。といっても、撮影に支障があるとかデータが破損するといった本当に困る類のものでもないんですが…。

なにかというと、バッテリーを充電しても電池残量表示に反映されないんです。10%の状態で充電を開始して一日経っても10%のまま。でも充電はきちんとされているので、写真の撮影は100%の状態と同じようにできます。バッテリーの問題かとも思ったんですが、交換しても相変わらずなので、カメラ側に何らかの不具合があるのでしょう。

今までのカメラの扱い方を振り返ってみると、強風に煽られて三脚ごとぶっ倒したり、防水機能が無いのに雨ざらしで写真を撮ったりと数々の悪行愚行の枚挙に暇が無いので、「まあいつかは壊れるだろうな」という感じもします。ただ、冒頭にも述べたように、写真撮影に支障があるわけではないので、金を払って修理に出したり、買い換える気もしないんですよねえ。この貧乏性どうにかならんものか。



さて、前回の終わりに「次回はZiL 111を特集する」旨のことを書いていたかと思うんですが、

111の写真がありませんでした。

後期型の111Gの写真ならあったんですが、前期型の写真があろうことか1枚もありませんでした。111だと思って撮っていた車が実はGAZ チャイカだったんです。ほんとにそっくりなんですよ……。というわけで、111の記事はもう一度モスクワに行くまでおあずけです。申し訳ナス。


その代わり(?)、今回は111の後継車種である114について先に記事を書くこととします。投稿日も1月14日だしちょうどええやろ(強引)。

本題に入る前に、まずは ”ZiL” というメーカーについて説明しましょう。

前回まで見てきた101や110のメーカー名は ”ZiS” でした。これ、なんの略だったか覚えていますか?

そう、ZiSЗиСЗавод имени Сталина = スターリン記念工場 でしたね?

1930年代のスターリン個人崇拝政策が始まった時期に設立された工場です。


では、1956年にソ連では何が起こったでしょう?

そう、フルシチョフによるスターリン批判ですね。

これによってスターリン個人崇拝は公式に否定されたので、スターリンの名前を冠する国営企業であるZiSも名前を変えられることとなりました。

そこで新たな工場名をつけるにあたって採用されたのが、”ZiL”

こちらも略語で、ZiLЗиЛЗавод имени Лихачёва = リハチョフ記念工場 となります。記念する人をスターリンからリハチョフに変更したんですね。リハチョフはZiSの初代工場長です。


ちなみに、「リハチョフ記念工場」も実はまだ略称で、正式名称は「Московский дважды ордена Ленина ордена Трудового Красного Знамени ордена Октябрьской Революции автомобильный завод имени Ивана Алексеевича Лихачёва (2つのレーニン勲章と労働赤旗勲章と十月革命勲章を受けたモスクワのイワン・アレクセーヴィッチ・リハチョフ記念自動車工場)」

長すぎィ!


それでは114について見ていきましょう。

114は、111の後継車種として1967年に発表されました。ブレジネフが書記長を勤めていた時代ですね。実は戦後のZiS・ZiLでは、書記長の交代ごとにリムジンをモデルチェンジする謎の慣習がありました。これらの高級リムジンは、パレードなどで使用することも多いため、その時のリーダーの象徴としての役目も与えられていたということでしょう。

まとめると、

・スターリン→110

・フルシチョフ→111

・ブレジネフ→1144104

・アンドロポフ→41045

・ゴルバチョフ→41047

といった具合。全部車名が数字なのでややこしいですね。なお、マレンコフとチェルネンコの時代にはモデルチェンジされていませんが、2人とも任期が1年もなかったのでまあ仕方ない。むしろ任期2年のアンドロポフ時代にモデルチェンジされたのが奇跡です。


デザインは見てのとおり、直線を基調にしたシンプルなものです。巷では「タイヤ付きスーツケース」などと呼ばれていたとか。

シンプルとはいえ、サイズは全長6,305mm、全幅2,068mm、全高1,540mmとなかなかのもの。特に車高の低さに対する幅の広さが目立ちますね。

なんと1971年には「世界で最も幅の広い乗用車」としてギネス認定されています。このパッと見異様に平べったいデザインは、ゴルバチョフ時代の41047まで受けがれることになります。


ちなみに、当時のアメリカの大統領専用車に採用されていたリンカーン コンチネンタルは全長5,695mm、全幅2,024mmですから、114はアメリカ大統領専用車よりデカかったことになります。

絶対張り合って設計させたんだろうなあ…。なお1972年には大統領専用車は6.7mのLWBになる模様。

リアはこんな感じ。ミニカーで申し訳ナス。SPBのモスクワ駅の駅舎内にあるミニカー屋で買ったんですが、このコーナーで紹介する日が来るとは思いませんでした。

テールにアメ車譲りのウイングが付いててセクシー、エロいっ!このウイングは時期モデルの4104では消え、フラットになってしまいます。

114は共産車にしては珍しく、1971年にフェイスリフトが実施されています。

このミニカーは1967~1970年式の前期型で、ヘッドライトはグリルから独立していますが…

1971~78年の後期型では、グリルが左右に広がり、ライトはその上に配置されるようなデザインになりました。リンカーン・コンチネンタルに似せたつもりなんでしょうが、正直、安っぽくなったと思う(小声)。


パワートレインには、専用に開発された7リッターのV8エンジンを搭載しています。


例によってトルク重視のセッティングで、最大トルクは57.0kg・m。(トルクが)太すぎるッピ!

ちなみに初期の114のトランスミッションは2速ATでした。大トルクに耐えられるクラッチが無かったんでしょうね。1975年式からは3速ATとなります。


最大出力も300hpとなかなかのものですが、車重が3,085kgもあるので、パワーウエイトレシオはそんなに良くないかも…。

ちなみに114はこの車重で1974年から3年連続で「最も重たい乗用車」のギネス記録を認定されています。2つもギネス持ってるとかレーニン勲章もんでしょこのクルマ。


そういえば1971年にZiLは3つめのレーニン勲章を受章してるけどもしかして…?

…と思いましたが、調べたところ第8次五カ年計画に関する受章だったようです。なーんだつまんねえの


こうして114は、1978年までに113台が製造されました。

8年間も作っておいてたったの113台とはこれいかに……という感じもしますが、この時代のZiLは民間への供給がされていなかったので、政府の需要に合わせた生産しかされなかったんですね。「高級車は党幹部の特権」みたいな風潮が段々作られていったということでしょうか。


とはいえ、いくら政府でも、古くなった車をいつまでも保有しているわけではありません。ソ連崩壊後は民間に払い下げられ、結婚式場でウエディングカーとして第二の人生(車生?)を送っている個体も多いんだとか。


さて、今回はここまで。次回は、114のSWBセダン「117」の特集です。お楽しみに!


2018/1/14 ちゅうさま


【おまけ】

冒頭に貼ったソチ自動車博物館の114。

なんで社会主義時代のブルガリアの国旗を掲げているんでしょう?説明書きには特に何も書かれていなかったんですが、ブルガリアで使用されていた個体なんでしょうか。

誰か、教えて!

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