【共産車探訪 vol.18】ZiS 101②


Здравствуйте,Товарищ!


こんにちは、ちゅうさまです。

クリスマスですが風邪でダウンしています。おかしいなあ、なんでこうなっちゃったんでしょうね。

ちなみにロシアでは正教会がユリウス暦を使っているため、クリスマスは1月7日です。でも1月7日はあくまでもキリスト生誕の「聖なる日」であって、日本のクリスマスのようなドンチャン騒ぎは、年末年始にまとめて行われます。


で、ロシアではサンタクロースの代わりに「ジェットマロース」なる青い服を着たジジイが年末にやってきます。別に「ソ連時代に宗教を弾圧した悪い子のところにはサンタは来ない!」というわけではなく、帝政時代からロシアではジェットマロースなのです。

ジェット(Дед)は「おじいさん」、マロース(Мароз)は「寒波」とかそんな意味ですが、そのまま日本語に訳すと「冬将軍」とかになるんでしょうか…?



さて、前置きが長くなってしまいましたが、それには理由があるんです。

その理由とは……

今回書くことが思ったより少なかった。

ここ最近の共産車探訪がやたら長くなりがちなので、内容を分割して、その代わりに頻繁に更新するようにしようと思っているんですが…。大したエピソードのないクルマだと書くことが少ないんですね。まあ写真サークルのコラムだし、文章より写真メインの方がいいのかもしれませんが。


それでは遅くなりましたがメインテーマのクルマを見ていきましょう。

前回は1936年から1939年までZiS工場で生産された ”ZiS 101” をご紹介しました。

でもデザインのモデルは1934年頃のアメ車で、既に時代の先端からは外れてしまっており、おまけにライバルであるアメリカのクルマは毎年のようにモデルチェンジが行われています。

「それではいかん!」ということで1939年に発表された101の改良型が、今回のテーマである ”ZiS 101A” です。

まず、フロントのデザインが一新されました。

まあパクリなんですけどね。


モデルとなったと思われるのは、1938年式のビュイック。下に参考画像を貼ってありますが、これは流石に言い逃れできませんねえ…。並んでたら区別付かないよこれ。

【参考】1938 Buick Series 41 4-door Sedan


エンジンは改良されパワーアップ。

101では90hpでしたが、101Aは110hpになりました。ちなみにパクリ元のビュイックは120hpなので、ようやくパワーも追いついてきたかなというところです。

出力アップに伴って、最高速度も115km/hから130km/hへと上がりました。ただ、ソ連のボッコボコの道路でそんな速度を出す機会があったかどうかは……?

まあそれでもいいんです。高級感ってのは余裕から生まれますから。


そんなこんなで101の後継として活躍するはずだった101Aですが、1941年の6月にドイツがソ連に侵攻して独ソ戦が勃発。リムジンの生産どころではなくなってしまいます。

そのため、101Aの生産期間はわずかに1939年の後半から1941年前半までの2年ほど。総生産台数も600台程度にとどまることとなりました。

さらに9月にはモスクワも戦場となったため、多くの101Aは戦火で焼失。元々の生産台数も少ないため、現存個体はかなりの貴重品となっています。上の写真のようなボロボロの個体でも博物館に展示されているのはそういった理由なんですね。



ここでいつものソ連高級車シリーズ通り、様々なバリエーションをご紹介………したいところなんですが、そういった変わったボディタイプの車は元々の生産台数が少ないうえ、その多くも例の大戦で焼失してしまっています。

共産車探訪は原則として「ちゅうさまが自分で撮ってきた写真」を使用していますが、車が既に存在しないとなってはそもそも写真を撮れる可能性すらありません。なので、写真の撮影可能性がないクルマに限り、重要なものは外部サイトから引っ張ってきた写真を使うことにします。


それでは101のバリエーションを見ていきましょう。(カッコ内はラテン文字表記です)


・初期型の高級プロトタイプ「101Л (101L)」

1936年に1台だけ生産されたプロトタイプ。Лは「高級」を表す”Люкс (リュクス)”のЛです。ロシア国鉄の高級寝台車もこの名前で呼ばれています。英語でいうところの”Lux”にあたる語ですね。で、101Лは何が高級だったかというと、電話が装備されていただけ。うーーーーーん…。


・装甲が施された「101Э (101E)」

厚さ70mmの装甲ボディをまとった防弾仕様車です。基本的にはスターリンクラスの大物向けですね。Э”Экстра (エクストラ)”のЭ。生産は2台のみでした。


・パレード用フェートン「102

1937年に生産が始まったオープンの102。通常の101は観音開きのドアでしたが、102では後部も普通のドアになっています。観音開きでは強度が足りなかったんでしょうか?1939年までに10台が生産されましたが、残念ながら現存する個体はありません。

出典:favcars.com


・改良版フェートン「102А

101Aの発表に伴い、フェートンも102Aへとアップデートしました。直後の戦争勃発も影響して、つくられたのはこの1台だけ。戦火は逃れたようですが、現在行方不明です。ボディカラーは薄い水色で、例のフェリッシモの中二病色鉛筆でいうところの「薄氷のはる水たまり」に近い色です。

出典:Снимаю шляпу: советские кабриолеты (https://cont.ws/@andrei2714/272279)


・異色のスポーツモデル「スポルト

「101Aスポルト」と呼ばれることもありますが、正式名は「スポルト」だけです。1939年にコムソモール20周年を記念して1台のみ製造されました。スポルトはキリル文字だと”Спорт”、英語の”Sport”と語源は一緒ですね。

これだけで1回記事が書けるくらいの面白いモデルなのですが、残念ながらこちらも現存していません。2012年にレプリカが製造されているので、写真を撮れたら改めてご紹介しますね。

出典:favcars.com



バリエーションモデルまで紹介していたら、記事が短いどころか前回より長くなってしまった気もしますが、今回はここまでです。

次回は、戦後の高級リムジン ”ZiS 110” をご紹介します。お楽しみに!


2017/12/25 ちゅうさま



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